オタクとヤンキーは似ている~「遺書 -関東連合崩壊の真実と、ある兄弟の絆- 」の書評~

00年代に現5ちゃんねること2ちゃんねるの「ニュース速報板」にいた人なら知っているネットアウトロー界のカリスマこと瓜田 純士氏の「遺書」を読んで思ったことをちょっと書いてみた。

まず、本自体はサクサク読める。初心者向けのノワール小説のようにも感じた。関東連合や瓜田 純士の存在を2ちゃんの雑談板でたまにあがる程度でしか知らなかった俺としては彼らの存在を知ってしまったという意味ではかなりショックだった。こんなギャングが日本にいたことがすごく驚きだった。

00年代といったが、00年代当時はヤンキーとオタクはお互いに反目しあうというか、一方的にオタクが嫌っていた存在だった。今でこそSNSを通じてお互いの壁は薄まったが同時により悪いことになってる気がする。

関東連合だが、その活動がただの暴走族だったのがしだいに先鋭化していき暴力団のような存在になっていくのは中々怖かった。そして勘違いから人が死んでいく・・・というのもなんというか俺の周囲でも起きそうだと思った。

本作以外にも瓜田純士氏が嫌悪している柴田大輔氏の「いびつな絆 関東連合の真実」も読んだが、本作と時系列はほぼリンクしていた。なので恐らく瓜田氏がいっていることはほとんど事実なんだと思っている。

(ここからはくだらない自分語りになってしまう・・・。)

関東連合は大体、敵対する組織になめられないために相手に恐怖感を植え付けるために攻撃をした。と瓜田氏は語っていた。

俺はどこかの不良集団に所属したことはないが、この気持ちはよくわかる。

というのも俺も大体、ツイッターで声が大きくなればなるほど変な粘着厨や揚げ足取りをしてくるやつによくあった。アニメのことでもテキトーなことを語っていたらうざそうなオタクに粘着されたりすることがあった。

そういった連中をびびらせるためには自分を大きく恐ろしく見せる必要があった。

俺はそこから相手をビビらせて威圧させるために荒らし活動を行っていった。元々悪戯好きというのもあったが、それ以上に相手から「こいつは絡んだら悪いことになる」と思わせる必要があったからやっていた。

アメコミクラスタでも「アメコミは単純で荒唐無稽と思われたくない」「偏見をもたれたくない」という気持ちがあった、だから俺が次第に注目をあびるようになっていった。

今考えたらすごくバカな話にみえるかもしれない・・・。だが人間はそういうもんだ。

そういった連中が群れると、さらに面白くないことになっていく。相手を攻撃するか承認欲求の任せるまま自分のエゴを増長させていくかになってしまう。

そしてオタクサークルを開き、女を囲ってひどい場合はレイプしたり嫌がる相手にセクハラしたり相手を弄って捨ててしまうかのどちらかになってしまう。

俺はヤンキーとオタクは大差ないと思っている、こういうたぐいの話は永遠につきないんだろう。本当にどうしようもない。人間は本当にくだらないんだ。