【映画レビュー】ゴジラキングオブモンスターズには失望した。【ネタバレ注意】
(この記事は2019年6月4日にかかれた記事をそのままコピペしています)
先週土曜日にとうとう公開されたゴジラを野郎3人で見てまいりました。
結論からいえばガッカリです。
いっておきますが、当然このレビューにはネタバレを含んでるので観てない人はすぐさまお帰りください。
まず映画として支離滅裂で内容がグダグダすぎる。
不必要な人間パートに映画の重点を置きすぎで全体的にグダグダな内容になってしまっているのである。
これを言うと勘違いしたゴジラオタクが「別にこれ怪獣映画だから人間ドラマとかどうでいいし~」とか抜かすがそういう輩がゴジラ映画を甘やかした結果、ゴジラ映画は衰退したのである。
そもそも初代ゴジラからしてかなり恋愛映画が話のベースにあったはずだったのに、そこら辺に目をつぶって「人間パートとかどうでもいい」とか抜かすのはうつけの極みといってよいのではないだろうか。
最低限グダグダなのはいいとして、映画の中身は
「ガメラ2とガメラ3のパクリ」
というのはいくらなんでも人を舐めすぎだし創意工夫というものが欠けているのではないだろうか?
さらにもっというと評判の高い怪獣パートに目をつぶっても
・怪獣が街で暴れるパートは極力カットする
・暗い画面で怪獣がちちくりあう
という前作でのダメだった部分はカバーできておらず一層悪くなっており、怪獣が暴れまくっても何のカタルシスや迫力もなくフラストレーションがたまっていくのである。
例外はラドンぐらいだが、ラドン一匹ではカバーできないほど映画は面白くないのが悲しいところだ。
肝心のゴジラについても相変わらず弱く、簡単にダウンするという情けない怪獣王(笑)っぷりは進んでおり観ているこっちが情けなくなってくる。
さらに平成ガメラに対する熱いパクリ(笑)はすすんでおり、なんとご丁寧なことにアトランティスかムー大陸を思わせる超大陸にゴジラが住んでおり、そこの守護神をやっていたことが明かされる。
もうここまでいくと金子修介はマジギレしていいのではないかとすらおもってくる。
登場人物も見ているこっちが恥ずかしいほどテンプレなキャラばかりで、90年代の怪獣特撮で腐るほどいた「怪獣は地球の救世主」「人類はウィルスなので滅ぼす」的な演説をのたもうのであった。
非常にオリジナリティあふれる映画である(大嘘)
バレをかますと、ゴジラは最終的にバーニングゴジラになりキングギドラを倒すが、これはオマージュのつもりだろうか?と頭にくえっしょんマークが浮かぶのであった。
バーニングゴジラを知らない人にいうとバーニングゴジラというのはゴジラが自身の死期を迎えた時にメルトダウンをした状態のゴジラをいう、しかしこの映画の場合はほとんど平成ガメラのウルティメットプラズマのような状態で行われる。
あの、この映画の製作者ってアホですか?
いや、ほめてませんよ。
純粋にアホなんですか?パーなんですか?
オリジナリティもなければ、創意工夫もない、自分の作った映画に対しての客観性もない。
まったく映画製作者としてのプライドを何も感じませんね。
っていうか、日本怪獣映画のハリウッド映画とは要するに他人のふんどしを着て相撲をしているようなもんである。
だったら少なくとももっとオリジナルに似せてほしいもんである。
というのも・・・
さらに最悪なことにオキシジェンデストロイヤーという1954年版ゴジラの最も大事な部分を壮大に原作レイプしてくれるのであった。
オリジナル版ではオキシジェンデストロイヤーはこれを生み出した芹沢博士ごと闇に葬られるという設定だったが、今作ではすでに米軍に開発されているという設定になっておりまるでクロネコヤマトの配送サービスでも呼ぶがごとく撃ち込むのであった。
あのなあ、人を舐めてるにもほどがあるぞ!?
こんな人を舐めたようなクソ映画で「僕らゴジラ好きなんです!!!」といっても「うるせーから、黙って消えろ」としかいいようがないのであった。
点数としていえば
30/100点
ぐらいのもんだろう。
怪獣パートがすごいっていうけど、怪獣パートがあんまないのがダメなポイントだねえ・・・・こんなんだったら映画のほとんど怪獣プロレスにすりゃよかったんじゃないの?
ゴジラがずーっと怪獣殺しまくって、最終的にキングギドラとぶつかる程度のもんで。
まあ、モンスターバースは打ち切りでいいんじゃないかね?
(追記)
監督がこんなこといってました・・・・。
ハァ???????????????????
罪???ゴジラを殺したのが????こいつマジで初代ゴジラの映画みてたの???
寝言いってんじゃねーよ!ボケ!!!初代のゴジラは世界中に放射能と死と破壊を運ぶ害悪の獣なんだよ!!!!アホ!!!!
てめえの糞映画のキャラみてぇにやすやすと世界を怪獣に明け渡すようなことはしねえんだよ!!!頭がマシだからな!!!
死ね!!!!ドハティ!!!
ポリコレ棒で相手を殴るなら、自分の行動を見直した方がいいよというお話
思うんだけど、ポリコレ棒っていうのは果たして万能なんだろうか?
例えばアメコミアカウントで有名な
この人だが・・・・かつてはジャップだのなんだのとジョークネタでずいぶんと盛り上がっていたようである。
こういうこと言って遊んでた人が人種差別・ポリコレ云々を語っていたとしても残念ながらダブルスタンダートにしかみえないんだよ。
おまけにこの人の場合は以前だれかとレスバトルをしたときこんなやり取りをしていた。
でも、BWTTさんはこんなことを書き込んでいましたよね!?
こりゃ勘違いされて仕方ないよ。
ポリコレで他人を燃やすとき、自分も燃やされることを意識しないとダメですよ。
魚拓はこちらにあるので各自お好きにお使いください。
もう一度観たい、やばいB級映画 第一回「ジャージー・デビル・プロジェクト」
(このレビューはネタバレを含みます)
世の中の人々はB級映画と書けば何を想像するだろうか?
チープな映像、へたくそな俳優、そして笑えないコメディ描写、もしくはCG丸出しの怪獣などがあたるだろう。
そんな本作もその要素のうち二つがあてはまっている。
チープな映像とヘタクソな俳優だ。
だが本作はチープな映像とヘタクソな俳優の演技が功を奏した結果、伝説のホラー映画になった作品である。
何を隠そうモキュメンタリー映画で、本当の劇映画ですらないので俳優の演技もヘタクソであったほうがいいということになる。
様々なブログで本作は「ブレアウィッチプロジェクト」の元ネタだといわれているが、どちらかといえば「森」「森の中にある怪物」といったものをベースにしているだけで、さらにいえばどちらかといえばブレアウィッチはどちらかといえばこれらの作品の元ネタたる食人族のほうが近いだろう。
前置きはおいておいて、この映画の内容は森の中である自主製作テレビ番組のスタッフが惨殺される殺人事件から始まる。
容疑者として捕まったのは彼らに同行していたジム・スワード。孤独な自閉症のスワードはその後刑務所の中で自殺を遂げる。ジャーナリストのデビットはジムが犯人であるかどうかを疑い、様々な事実を検証していき、真実をつかみジムの無実を晴らそうとするというのが主題だ。
テレビ番組のスタッフたちは野心家の監督と彼にあきれている相棒とカメラマンで組まれていた。
彼らの狙いはアメリカのパインバレンズという森にいるといわれているUMA「ジャージーデビル」だった。
「ブレアウィッチプロジェクト」以降に制作された他のモキュメンタリー映画と異なり、徹底的にドキュメンタリーとして架空の殺人事件を追いかけていくのが非常に面白い。
例えば警察に取材に向かい「我々の捜査は何らミスはありません。ジムは犯人です。」と断言する警察を描いたかと思えばジムの面倒をみていた精神科医やマンションの管理人にも取材を行う。
当然彼らはジムの肩を持ち警察の捜査ミスを信じて疑わないので、エンディングを知るとジム同様に本当に哀れに見えてくる。
さらに殺された被害者たちのことを振り返ったり、関係者に取材を行うことで事実を積み上げていくというサスペンス映画の王道の道を走っていく。
というか正直まるで「世界が仰天ニュース!」の再現Vみたいなノリである。
ここまでは称賛したが正直サスペンス映画としては緊張感があまり長続きせずに途中でダレてくる部分がある。
特に主人公のデビットは何回同じ行動をしてるねん!という部分があり正直中盤あたりから眠たくなってくる。
観客がいい加減ダレてきた中、デビットのもとへいきなり謎のビデオテープが届く。
どうやらテープは番組のスタッフを殺した人物がうつっているとされるテープのようだ。
彼は業者(なかなか美人)に修復を任せジムの1日をもう一度検証していくために山に登っていこうとする。そんな中、テープの修復がついに完了をした。
業者の女性は再生されたテープの中身をみた。
そこには
デビットがうつっていた。
なんと、事件のすべての黒幕はデビット本人だった。
すべては彼の自作自演だったのだ。
そんな女性の背後にはデビットの姿があった。女性は逃げようとするがデビットに捕まり殺されてしまうのだった。
デビットは森の中で業者の女性の死体を捨てる。
そしてうわごとのように繰り返す。
「やはりジムは無罪と思われます。私はなんとしても真実をつかむべく・・・」
思うようなシーンが撮れないのか、何度も繰り返すデビット。
そんな彼を置いて寒々しい景色の中カメラはフェードアウトしていく。
真実は闇の中に消えていった。
はたして、「ジャージーデビル」は本当にいてデビットは彼に操られていたのか、デビットは完全に狂っていて狂気の作品を生み出したかったのか?
真実はなにもわからない、森の中にうまったままだ。
確かに映画としては退屈な部分もあり、今までモキュメンタリーだったのがいきなり劇映画になってしまうのはびっくりするかもしれないがそれを差し置いても本作はかなりその後のモキュメンタリー映画の中でも異彩を放った作品になっているのは間違いないだろう。
そして本作、なんとDVDが生み出される前後に生まれた映画であるためビデオしか見る媒体が残されていない「幻の映画」になっている。
アメリカではつい最近になり、ようやくDVDになったらしいが日本ではみられるかどうかはわからない。
ちなみに本作は主人公で黒幕たるデビットを「ワンピース」のサンジこと平田広明氏が演じている。
吹替のビデオをみつけたら氏のファンは確保しておいて損はないだろう。
(追記)
この映画はどうやら人類史上初のオンデマンド配信された映画だそうだ。netflixやニコニコなど最近は映画をネットで視聴することはできるが、これはそれらのご先祖様だということになる。
オタクとヤンキーは似ている~「遺書 -関東連合崩壊の真実と、ある兄弟の絆- 」の書評~
00年代に現5ちゃんねること2ちゃんねるの「ニュース速報板」にいた人なら知っているネットアウトロー界のカリスマこと瓜田 純士氏の「遺書」を読んで思ったことをちょっと書いてみた。
まず、本自体はサクサク読める。初心者向けのノワール小説のようにも感じた。関東連合や瓜田 純士の存在を2ちゃんの雑談板でたまにあがる程度でしか知らなかった俺としては彼らの存在を知ってしまったという意味ではかなりショックだった。こんなギャングが日本にいたことがすごく驚きだった。
00年代といったが、00年代当時はヤンキーとオタクはお互いに反目しあうというか、一方的にオタクが嫌っていた存在だった。今でこそSNSを通じてお互いの壁は薄まったが同時により悪いことになってる気がする。
関東連合だが、その活動がただの暴走族だったのがしだいに先鋭化していき暴力団のような存在になっていくのは中々怖かった。そして勘違いから人が死んでいく・・・というのもなんというか俺の周囲でも起きそうだと思った。
本作以外にも瓜田純士氏が嫌悪している柴田大輔氏の「いびつな絆 関東連合の真実」も読んだが、本作と時系列はほぼリンクしていた。なので恐らく瓜田氏がいっていることはほとんど事実なんだと思っている。
(ここからはくだらない自分語りになってしまう・・・。)
関東連合は大体、敵対する組織になめられないために相手に恐怖感を植え付けるために攻撃をした。と瓜田氏は語っていた。
俺はどこかの不良集団に所属したことはないが、この気持ちはよくわかる。
というのも俺も大体、ツイッターで声が大きくなればなるほど変な粘着厨や揚げ足取りをしてくるやつによくあった。アニメのことでもテキトーなことを語っていたらうざそうなオタクに粘着されたりすることがあった。
そういった連中をびびらせるためには自分を大きく恐ろしく見せる必要があった。
俺はそこから相手をビビらせて威圧させるために荒らし活動を行っていった。元々悪戯好きというのもあったが、それ以上に相手から「こいつは絡んだら悪いことになる」と思わせる必要があったからやっていた。
アメコミクラスタでも「アメコミは単純で荒唐無稽と思われたくない」「偏見をもたれたくない」という気持ちがあった、だから俺が次第に注目をあびるようになっていった。
今考えたらすごくバカな話にみえるかもしれない・・・。だが人間はそういうもんだ。
そういった連中が群れると、さらに面白くないことになっていく。相手を攻撃するか承認欲求の任せるまま自分のエゴを増長させていくかになってしまう。
そしてオタクサークルを開き、女を囲ってひどい場合はレイプしたり嫌がる相手にセクハラしたり相手を弄って捨ててしまうかのどちらかになってしまう。
俺はヤンキーとオタクは大差ないと思っている、こういうたぐいの話は永遠につきないんだろう。本当にどうしようもない。人間は本当にくだらないんだ。
がちおちゃんです
よろちくび!!!!!
noteで書いた記事をこっちにうつしちゃうぜ!!!!